春暁酔夢  〜 第二部 波の随に side


        




 ふと、ガレリア越しに見上げた空の色があんまり寒々しくて、雪でも落ちて来そうな雰囲気だなとつい思う。大みそかから引き続く厳寒のせいもあるが、朝のうちは晴れ間も見えていた空が、今はやや曇天模様になっており。週末からの3連休が荒れては詰まらないなぁと思う反面、いっそ大荒れに荒れれば 月末に控えたスキー合宿も中止になるんじゃあないかなんて。まるで、台風が来れば運動会が中止になるかもというよな、小学生レベルなことを思ってしまう自分に気がついて。そんな不謹慎な考え方は七郎次に叱られかねぬと、軽やかな綿毛のような金髪を、ふるると揺すってのかぶりを振ってしまう久蔵だったりもする。大学生に次いで休みの多い高校生だとはいえ、年明けからこっち、早々と寒稽古だ何だで既に登校しているせいか、明日が始業式だというのが何だか妙な感覚がする。しかもその翌日からがまた三連休とあって。いっそ始業式をその後へずらせばいいのにと思わぬでもなかったが、先生方という大人には 大人の事情とやらがあるのだろう。

 「…。」

 交通量はさほどじゃあない道路を挟み、JRの改札前を見通せる前面ガラス張りのカフェ…が面している舗道に立っての待ちぼうけ。快速の停まる此処Q街で、合宿旅行に要るだろう、久蔵の新しいスキーウェアを見繕うということになっている。さすがは成長期で、昨年のがもう 袖やズボン丈がつんつるてんになりかけていたからで。七郎次は、寒いだろうから先に着いたならカフェに入って待ってなさいと言っていたが、それだと見つけにくいんじゃあなかろうかと感じての外での待機となっている彼であり。

 「…。」

 今日は七草なのでか、その旨を書いたのぼりがすぐそこのショッピングマートの入り口に立っている。微妙にまだまだどこかで正月気分の抜け切らぬ街は、それでも寒さのせいもあってだろう、人の行き来する足並みが微妙に速い。そんなせわしい雑踏の中、七郎次は自分の居場所が判るだろうか、それより自分こそ七郎次を見落としはしなかろうかと、時折背伸びをし、首を伸ばしてまでして道路の向こうの駅の構内を見やる彼の鼻先へ、ヒラリと舞ったは大きめの冬の六花…なぞではなくて。

 「…っ。」

 凭れていた壁から身を起こし、反射的に出ていた手が捕まえたそれは、淡い色合いのチェック柄のハンカチだ。飛んで来たほうを見やれば、街路に寄せて停車している車があり。駐車禁止となっている場所ではあったが、黒塗りの大型外車であり、しかも運転席に座す人の影があるので、誰か主人でも待っての停車中のそれなのだろうと思われて。

 「?」

 そちらから駆けて来るような気配もない以上、もしやしてその車から…? と、小首を傾げつつも歩みを運べば、後部ドアの窓が開いているのが見えた。そこから顔を出しかけていた人がいて、こちらが歩み寄るのが見えてのことか、

 「すみません…。」

 わざわざ掴み止めていただいてと言いたげに、恐縮そうな声を発したその人は、だが、

 「……っ。」

 久蔵には微妙に見覚えのある知った人だったので。手渡すためにと間近まで歩み寄りつつも、その表情が微妙に固まってしまい。だがだが、それを言うなら、
「あ…。」
 そちら様の事情はよく判らなかったが、相手の方でもまた、久蔵を見て少々戸惑いを隠し切れないというお顔になった。ああそうか、自分がはっとしたのは彼の素性を知ってるせいだと察したんだろうな。騒がれたら困るとか、思ったのかもしれないなと。さすが、本人ではなくとも“このお顔”が相手だとずば抜けて察しがよくなる次男坊でもあるらしく。手にしたハンカチを窓辺まで差し出すと、

 「騒がれたくはないのだろ?」

 こそり、訊いて差し上げる。すると、やや固まっていたような気配のあったお相手の少年は、はっと我に返ってから、一瞬、何を言われたのかが判らなかったか、その青玻璃の眼差しを何度か瞬かせたものの、
「あ、…は、はい。実はあのその。」
 微妙に間をおいてから、こちらの言いようを飲み込んだらしく。そんな態だったのへ、自分があまりに端的な物言いをしておきながら“ああそうか、やはりシチとは違うから…”なんて、飲み込みの悪いお人よと勝手に感じ入った久蔵としては、ただ単に失踪中の某芸能人という認識しかなかったらしいものの、
「…っ。」
 ちょうど待ち人が来たのが通りの向こうに見えたせいだろう、それではとの目礼残し、さっさと離れて行った調子のよさよ。ベージュのコートに包まれた、自分と変わらぬ年頃らしき少年の痩躯が遠ざかるのを見送りながら、自分の胸元を白い手で押さえていたこちらの少年へ、

 「…いやぁ似てましたよね、久蔵に。」
 「え? あ…ええ。」

 運転席にいた関矢の声にはっとした七郎次は、だが、ああそうかと今度こそ合点が行くのも早くって。自分はすれ違うような格好の巡り合わせになったので、あいにくと前世では面識がなかったのだが、この関矢は当時は虹雅渓にいて、あの綾麻呂配下の用心棒だったお人だそうだから、あの頃の久蔵のことは どうかすると自分よりも知ってもいよう。むしろ、この自分が彼を見知っていたことのほうをこそ意外に思ったのかも知れなくて。ただ、

 「とは言っても、俺たちと同じ身ではなさそうなお人ですが。」
 「ええ。」

 過去の記憶もて生まれ直したという奇妙な境遇に、何か意味でもあるということなのか。一体どういう素養があってのことかは判らぬが、転生人同士には初対面であっても何とはなく通じ合うものがある。さすがに、前世での知己でなければ それが“誰か”まではなかなか察しがつかないのは仕方がないのだけれど。

 「ああまでよく似たお人がおいでとは。」

 やたらと感心している関矢は、そういえば…この自分とそっくりだったという人物とも先だって会っているという話であり。ただ、当時の面識がなかったものだから、あとから自分が六葩に連れられて島田一家の屋敷へ運ぶまで、そんなつながりがあったとは気づきもしなかったらしく。こちらの七郎次少年に逢ってのやっと、ああそれで…というよな納得顔をし。そこへ、逆に七郎次がこそりと問うて、転生とは絡まぬ相手への何だかややこしい顛末があったらしいことを聞きもして。それでやっと、下地となる共通知識が均されたようなもの。

 “勘兵衛様が わたしと取り違えたほど似たお人もいたというのだから…。”

 そういう奇遇もあるなんてと、転生という奇妙な境遇の不思議、今更ながらあらためて垣間見たような気分になっていたところへと、

 「どうした、窓なぞ開けて。」

 こちらの顔触れがいい子で待ってたお相手、銀龍が、用向きのあった宝飾店から戻って来たらしく。この寒いのになんでまたと、舗道側に座っていた七郎次へひょいと声をかけて来る。上座下座を考慮してのことじゃあなく、まだまだ下肢の不自由な七郎次であるがため、その乗り降りに都合がいいようにとの配慮であり。

 「あ、あのっ。」

 何か言いかかった少年の鼻先へ、ふわんと柔らかな笑みを見せた銀龍。まあ待てと、自分が乗り込んでから聞くという意だろう、車の後部を周り込むべくの制止をかける。それを望んだわけでもなかったろうに、戦場での言動や振る舞いとそれがもたらした数々の勝利が、彼女をするすると“人を率いる側”へ、女だてらに駆け上がらせたのではあるのだが、

 “こんな風に、女性らしさでの牽制なんていうのはなさらなかった…ような?”

 彼女のような特別な背景や理由を持たない、女性の侍もいないじゃなかったが、それでも歴然と“男社会”だった軍にあって。先見の巫女という能力が消え去ってもなお、その鬼神のような戦いようから、男性将校らに全く引けを取らなんだ彼女であり。腕っ節や身のこなし、刀の振るいようのみならず、用兵の巧みさや決断力の鋭さ、人を率いるのに必要な果断さと存在感の厚さを兼ね備えていたお人だったからでもあって。十分に美しい女性でありながら、美貌や奸計にて策を構えたことなぞ、とうとう一度もなかったはずだのに。

 「関矢、出していいぞ。」

 車道側のドアから乗り込むおりに、それはすんなりと美しい御々脚を、なめらかな動線も嫋やかに引き上げながら、運転席へと気さくな声をかけ。そのついでとばかり、バックミラー越しに“ふふvv”と小さく微笑って見せる茶目っ気なぞは、そうそうお見せにはならなんだような。

 「で? いかがしたのだ?」
 「あ、あの。先程クッキーをいただいたハンカチを、払おうとしたのですが…。」

 傷自体がまだまだ塞がり切ってはない現状ではあるが、だからと言ってあまりに外の空気に触れぬのも良くなかろうと。勘兵衛が総代として率いる六花会の、傘下の面々が新年の挨拶にと訪のう予定が入っていることへかこつけて、車での散歩なら支障はあるまいと、銀龍の外出に付き合うよう引っ張り出された格好の七郎次なのであり。かこつけてなんて言いようを、ついつい持って来てしまうのは、

 “…どう考えたって、
  昨日 朝帰りなさったことを言及されたくなくて…としか思えないもの。”

 その前の晩に、ホテルで催されたとあるレセプションへと出席を余儀なくされていた彼女なのは、屋敷に在住していた皆して知っている。表向きには“六花会”なぞと一切関わりのない総合商社“雲居グループ”の社長令嬢。しかも惣領娘であるがため、先々では婿を取って後継者となる道をも期待されている存在で。単なる血統の問題のみならず、華やかな風貌や人望の厚さ、女医を努める才媛振りを認められて…などなどという詳細な評価つきの下馬評であり。時折、父上の代理としてそのような会合へと顔を出すのは、会社運営を任せられる殿方を物色中なのだろと噂されている女史だったりもするのだが。ご本人にしてみれば、そんな風に思いたきゃどうぞというところかと。本来は好まぬそんな場へ出る真意はといえば、権勢者らの力バランスや、プライベートなところでの近況というカテゴリーの、新鮮な情報を得るためであり、確実なところというものを押さえたければ、そこはやはりご本人がお出ましする場にも直々に足を運ばにゃならぬ。誰を取り巻きに連れておいでか、誰からの声掛けへ機嫌を良くしておいでかなどなどを見極めるのが真の目的。あとは、当の御大を眺めつつ、ギャラリーたちが“そうそう、これは御存知ですか?”と、どれほどのニュースを抱えているかの競い合いになってくれるのをさりげなく拾って帰る。勿論のこと、信じるには値しないようなゴシップも多いが、当人のお耳に入りやすい場で突拍子もない話は出来まいて。

 ……とはいえ。

 そうそういつもの毎回、そんな場にのべつ幕無しに顔を出すお人じゃあないことでも名を馳せている深窓の御令嬢。それもまた、謎めいた存在だという思わぬ効果を周囲へ振り撒く結果になっている行動の一つ。さりげなく挨拶回りをし、場の空気を浚えばそれで十分と、用を果たせばとっとと帰ってくるのが常のはずが、一昨日の晩はなかなか帰って来なかったものだから。若頭がそりゃあ案じてござったし、かといって組の息のかかった者を監視にもやれぬと やきもきのし通しで夜を明かされており。もしかして例の男に関心でも持たれたんでしょうかと、彼なりの心当たりを差して憂慮していたようだったのへ、

 “それって…警察関係のお人なのだろか。”

 自分が身を寄せておいて言うのも何だが、いわゆる“極道”の世界に接している存在には、所轄警察とは別口の“公安”という警察機関が監視を向けてもおり。大きな抗争が起きはせぬか、恐喝やヤミ金融という形で、はたまた麻薬などという疚しい手法で一般市民に魔手を向けちゃあいないかと、治安維持という旗印の下、隙を見つけちゃあ叩き潰す切っ掛けにならぬかと手ぐすね引いている…との予備知識がある七郎次なものだから。そういう方向で案じていたものの、

 『だから、それは…だな。』

 帰宅したそのまま、まずはと一眠りしてしまい、それでも誤魔化されなかった若頭・頼母からの言及へは、

 『出先へ直接、病院へ戻ってほしいという知らせがあったのだ。』

 外傷系の急患があったらしく、人手足らずで呼ばれたのだと。酒を飲んでなくて良かったことよとまで言い切った彼女であったりし。そうまで言われては、女史のおわす神聖な職場に恐持てが関わるのも善し悪しだとしている、若頭の日頃のモットーがものを言い、確かめようのないことへと転化してしまった…のだけれど。

 「お買い物、だったのですか?」
 「う…む、まあ、そんなところかな。」

 メールを受けてのこのお出掛け。注文していたものが店へと届きましたという代物にしちゃあ、

 “随分と意外そうなお顔をなさってらしたけれど。”

 動き出した車の中、曇天だったはずの空に雲間でも出来たか、ふっと差し込んだ陽の目映さが、色白な銀龍の横顔をなおの白で照らし出す。その白い手が、お膝の上へと載せている、高級宝飾店のロゴの入った小ぶりな紙袋をそろそろと撫でており、その素振りが…関心があるらしいのに開けられぬそれのようにも見えたので、

 「何をお求めになられたのですか?」

 再会して以降は、まだまだあんまり甘えかからぬ七郎次が、珍しくも関心寄せて“見せてほしいです”と言いつのって来たのでと。そういう順番ならば、少年のせいにも出来るだろ。開けてみて下さいなとねだって見せれば、それもまた珍しいこと、

 「えっと、だな…。」

 微妙な含羞みを載せた口許を震わせた銀龍であり。そうまでの戸惑いを示しつつ、されど…固辞するほどのことでもないと思い直したか。袋の中へと手を入れて、そこへと収まっていた小さな包みを取り出して見せた。男性用のコートなどなら、そのままポケットへ収まってしまうような小さな代物であり、店名のロゴが品のあるデザインとなった、つやのある包装を解くと無地の白い小箱が現れて。正方形を組み合わせたようなその形と大きさから、もしやして指輪かなと思わせた…紫紺のビロウド張りのケースの中に収まっていたのは、

 「…わあ、綺麗ですねぇ。」

 プラチナだろう白っぽい銀の、小さなデザインピアスが一対、クッションになった下敷の上へ鎮座ましましており。シンプルながら…良く良く見れば、六花弁の小花が下がっていて、揺れるたびに小さな光をちらちらと、周囲へ乱反射させているのが何とも可憐。どちらかといえばレトロな印象が強く、愛らしくも甘いデザインではないので、理知的な才媛というタイプの銀龍の風貌を邪魔せず。それでいて眸を留めた者には、おや意外なものをつけていなさるという注意を招くだろう、微妙に意味深なピアスであり。

 「……。」

 自分で選んで買ったものなら、そんなお顔はしなかろに。何かしらの意図を読み取りでもしたいのか、真顔に近い無表情のまま、じぃと手元のケースを見下ろしていた銀龍。ふと、台座が浮いていることに気づいて持ち上げれば、小さなメモが折り畳まれて入っており、

  ―― 女医さんの手に、指輪やブレスレットはお邪魔でしょうから。

 名前はないが、それでも…これで贈り主も知れるというもの。恐らくは向こうも、これで伝わると思うてのこと、手短な伝言としたのに違いない。雲居銀龍という存在が、このような贈り物をされるに相応しい佳人であり、且つ、優秀な外科の女医でもあるという双方の顔を知っている者であり、

 “指輪を贈ろうにもサイズを知らぬのだろうよ。”

 触れ合うことが出来たのはやっとの一夜。しかもあのような形でとあっては、そんなことをまで、相手が知りようはなかったろうてと思う…と。そこまで考慮が至ったその途端、胸のうちへと想起されたは、

 「〜〜〜。////////」

 相手の立場や心情のみならず、自身の受けた感覚も。

 「…銀龍様?」
 「な、何でもないっ。///////」

 見る見る“かぁあぁ〜〜っ”と真っ赤になった女医殿へ、唐突なことゆえ、いかがしましたかと案じた七郎次だったのも無理は無しと。判っていつつも抑えが利かず、慌てふためきがありあり判ろう応じを返してしまった女史であり。ややあって、

 「…………すまぬ。」

 ぽそりと返された小声の謝辞もまた、七郎次には意外な反応。どんなに驚愕し浮足立ったとしても、すぐにも気を取り直しての冷静に、何事もなかったかのように糊塗し切るところが、勘兵衛にも似て小憎らしい余裕だったはずなのに。それを思うと尚更に、余程のこと慣れない感情を抱えた彼女なのだということも知れるというもの。

 “ここで愛らしいなと思っては不遜だろか。”

 今の生ではまだ十代の七郎次だが、かつての記憶には…このような初心なところを隠し切れない、恋情にはまだまだ幼い女性も多く見かけた蓄積があって。ああそれと一緒じゃないかと思い出しての、微笑ましいことこの上なく。秘やかに秘やかに進展中らしき、女史の恋の気配へと、こちらの七郎次も気づき始めた、そんな冬の日の一幕だったりするのである。



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